「仮面ライダー×仮面ライダー ゴースト&ドライブ 超MOVIE大戦ジェネシス」

多分面白くないし、観たら観たで絶対に文句たらたらになるし、1800円払って良いことひとつもない映画なのに、不毛とわかりつつ、やはり観てしまう。こういうのがいるから、この手の映画は廃れないんだな。少しでも予想を裏切ってくれれば、と根拠のない思いを毎回抱いてはいるけれど……。

基本的に、「なぜ、その人がその言葉を発するのか」「なぜ、その人がその場所へ行くのか」という理屈が、全く成立していない。作ってる本人は省略話法のつもりかも知れないけど、「アイツを倒さなきゃ!」→どこかも明示されない現場、というのはただのサボリです。クライマックス、「10年前からこの場所だと分かっていた」とベルトさんは言うが、観客には一切わからない。敵に囲まれていたかと思ったら、しょーもないギャグが挟まれ、次のシーンではもう別の場所。その危機的状況をどう乗り切ったのかが一切描かれない。挙句に敵の強さは「すごい強さだ!」とセリフでしか説明されない。いちいちツッコミ出したらキリがないほどに話運びが穴だらけ。

キャラクターの扱いも酷い。一年かけて育てあげたロイミュードたちのキャラクターを全て無にした上で単なる雑魚に格下げ。しかも、タイムスリップの影響でとかなんとか杜撰な設定で改悪復活させてるのに、なぜかチェイスは元のまま。「バタフライ・エフェクトが起こったんです!」と知ったようなセリフを叩くが、誰の記憶も書き換わらないし、重大なタイムパラドックスも起きない、改変された記憶は都合よくロックが掛かる。「電王」以下の杜撰さ。

この辺りで、「ああ、もう真面目に作る気ないんだな」ということが分かる。

先日、「クリード チャンプを継ぐ男」を観て大号泣したばかりなこともあって、本作で描かれる父子の受け継がれる魂のあまりの薄っぺらさにうなだれるしかなかった。タイムスリップとパラレルワールドという安易な設定を用いているせいで、色々なことがブレてしまっている。設定に齟齬がが起きているせいでテレビシリーズで培っているキャラクター性が全く活きていない(劇場版や特別編で顔を合わせていることが無かったことになっている)。安易に子供時代のタケルが出るせいで、タケル本人の父への思いがブレる。設定上は同一人物でも、映画上では別人だからだ。

その上、父が具体的にどう「尊敬すべき父であり、ゴーストハンターであったか」が描かれない。肝心の戦闘シーンはばっさりカットされているし(てっきり眼魔に成り代わられたのかと思ったら、本当に倒したことになっていて愕然)、言動に何かタケルの人生を決定づけるものがあったかと言えば何もない。あるとすれば都合よくワームホール開くぐらいで(そして誰も疑問を持たない)。何なら、タケルが決意するときに吐くセリフは進之介のものだし。

こんなものが、「クリード」と同じ劇場で同じ料金取ってるかと思うと泣けてくる。

話も酷ければ、アクションも酷い。「ウィザード」ぐらいまではカンフーやマーシャルアーツ、パルクールなんかを取り入れて、なんとか新しいものを見せようという努力があったように思うけど、いつの間にかすっかり「殴って、よけて、防御して、殴る」という旧来のつまらない殺陣に戻ってしまった。「ニンニンジャー」の方がよっぽど頑張っている。強いて言えば、ゴーストがふわ〜っと飛ぶのが新しいのかも知れないが、それってフォーゼの二番煎じでしかない。派手なことと言えば巻きつけて叩きつける、最後はフルCGの巨大な敵を倒してハイ、いっちょあがりってなもんである。

恥を知れ、と言いたい。

結局、何も挑戦する気もなく、真面目に作る気もなく、キャラクターさえ揃ってれば見にくるヤツら(自分含む)で興行収入が見込めて、スケジュールさえ埋まればなんでもいいや、というのが現在の姿勢であることがよーくわかった一作でありました。

……ああ、不毛だ。こんなこと、毎回毎回書いている。じゃあ観なきゃいいのに、なぜか観てしまう。いや、「なぜか」というのは嘘だ。分かってる。ずっと幻影を追っているのだ。かつてこのシリーズに本当に面白くて、心動かされたことがあったから。でも、その姿勢もそろそろやめ時なのかも知れない。僕らの「好意」は、既にあちらには「ただの餌」と見なされているんだから。

この前、本作の某プロデューサーが「フォースの覚醒」を槍玉に挙げて「あの世代が作るものはこんな程度。期待しすぎ」などと揶揄していた。その面の皮が本当に羨ましい。