「スーサイド・スクワッド」

「悪党」と口々に言うのだけど、実際に「どういう悪事を働いてきた悪党なのか」「どういうレベルでの悪党なのか」は、具体的描写が一切ない。説明文と、セリフで説明されるだけ。むしろ、子供を盾にするバッドマンの方がよほど悪党に見える。わざとそういう描写にしているのかも知れないけど、そのお陰でスーサイド・スクワッドの面々は“変化”に乏しい。最初からそういう人が、取るだろう行動を取って行っているだけ。各々のキャラクターが魅力的ではあるから観ちゃうんだけども、冷静に考えると映画の構成としてだいぶ壊れていると思う。

例えば、同監督の「エンド・オブ・ウォッチ」の主人公2人は、「ルールに縛られず、不正も多少働くけど、それぞれに譲れないもの、守りたいものがある」というキャラクター付けがあって、それぞれが配偶者に出会ったり、信じられない現実に出会ったりすることで“変化”していく。その結果、招くのは悲劇だけど。スーサイド・スクワッドの面々にも、そういう“変化”が欲しかった。

その他にも、出てきた瞬間に死亡フラグ立ってる奴がやっぱり死ぬとか、本当にスーサイドしてるのが全然関係無い奴とか、敵に魅力が無さすぎるとか、ジョーカーが本筋に関係無いとか、色々と問題は多いかったが、個人的に一番気になったのは、政府(体制)の描き方。明らかな不確定要素を支配下に置くにあたって、次善策が何も無いとか、インフラ潰されただけで驚くだけが仕事になる会議室とか、とにかくスーサイド・スクワッドを操る側の人間たちにバカしかいない

こういう描写、ただ陳腐なだけとか雑なだけとか、そう言ってしまえば簡単ですけども、最近思うのは、これってただの願望でしかないと思うんですよ。「公権力を振るう人間はバカばっかり……なハズだ」という。

でも、公権力を振るう人間というのは、時に必要以上に狡猾だということを。だからこそタチが悪いわけで。あいつらはバカだ、何も分かってない、で切り捨てれば楽なのかも知れないけど、それって何の解決にもならないんじゃないかなぁ、と思うのです。

バカに振り回される可哀想な悪党たち……ということなのかなぁ。それにしては、悪党たちの縛り方があまりにザル。結局、「見せたい構図」だけが浮いていた。惜しい映画でした。