「仮面ライダーW」(終)

 初回放送時の自分の感想を見返してみる。

 まず、「風都」という設定が、そのネーミングも背景美術も死ぬほどダサい。敵側を「企業」にしたお陰で、「リュウケンドー」みたいなマヌケさは脱却してるとは思うけど、じゃあ有効に機能しているとも思えず、主人公の如何にもおっさんが考えました的探偵ルックも合わさって、何かちょっと恥ずかしい気すらしてしまう。

 加えて、主人公ふたりの声質が似すぎてる所為で、W になっても二人が別々に喋ってるのが分かりづらい。その変身してからも、CG 全開な上にメモリ周りの動作がまどろっこし過ぎる所為でリズムグダグダだし、ライダーキックに至っては論外のカッコ悪さ。何でも斬新なら良いってもんじゃないよ。

 嗚呼、一年前のオレよ。お前はなんてバカなんだ。よし、一年後のオレが、一年前のオマエに説教してやる!

「風都」という設定

 この「ある街のヒーロー」という設定は、「リュウケンドー」のそれとは全く意味が違う。「W」にとっての「風都」は、「住んでいる街」であり、同時に「友人」であり「恋人」であり「家族」である。そんな「街」を実験場として利用して「泣かせる」存在と戦うのが「仮面ライダー」なのだ。それってつまり、もうこれ以上無いぐらい、僕が憧れ続けてきた「ヒーロー」そのものの構造ではないか。

 「何の為に戦うのか?」それはヒーローに限らず、あらゆるドラマ、もしかしたら全ての人間が背負っている命題です。でもかつて、大した知能も無く、サルとの違いは衣服を着てるか着てないかぐらいの違いしか無かった僕は、「仮面ライダーBLACK」から、その命題に対するひとつの、これ以上無いくらいシンプルな答えを教えて貰ったんだ。一体それ何だったのか? 「W」はそれを思い出させてくれたし、リアルタイムで観ている今の子供達の中の誰かは、同じように感じてくれることを期待しています。

 「背景美術がダサい」と思っていた主な理由である「風都くん」と「風都タワー」が、まさかここまでのドラマツルギーを持つとは思わなかった一年前のオレ、甘い!!

探偵ルック

 これを書いた数ヶ月後、オマエはその最たる要素である「ソフト帽」に泣くことになるんだからな!!!

 最終回直前、おやっさんの帽子を無言で被り、ユートピアに単身(+ガジェット達)に挑んでいく翔太郎、というシークエンスには、感動を通り越して悔しさすら感じたよ……。「おやっさんの帽子でユートピアの拳を受ける」というカットで、「ユートピアが弱体化してる」とかそんなことしか言えない奴は、「ビギンズナイト」をあと 10 回観てこい!(暴言)

変身アクションについて

 どう考えてもカッコ悪かった「ジョーカーエクストリーム」ひとつとっても、時にアングル変えたり、時に苦戦させたり、時にアクセルと共同作業で放ったりして、最終回のように作劇として必然性を与えられたり、決して評価に甘んじたり「じゃあ使わない」とはならなかった(まぁ、ライダーキック使わないわけにいかないけども)。

 「メモリアクションがまどろっこしい」だと!? 映画観てこい!!!! しかもテレビでも、最終的には変身ギミックすらドラマにする徹底ぶりだぞ!

 ……そんなわけで。

 最終回単体で考えるなら、あまりにも要素を詰め込み過ぎて色々なことが駆け足になった結果、若菜とシュラウドが若干割を食ってしまった感はあるとは思いますが、この一年戦ってきた登場人物達の(作品内時間での)「今」を描いて終わろう、という気持ちは痛いほどに分かったし、それを通して最後、翔太郎と視聴者(っていうかオレ)に贈られた最高のプレゼントに、「ディケイド」最終回で流した涙とは全く違う涙を禁じ得ない。

 シリーズ通して思うのは、とにかく何よりも、この作品に関わった人間全てが持つ「仮面ライダーW」が持つ世界を描ききるんだ! という熱意、いやそれこそ「愛」と呼ぶべきかも知れない「何か」の力の凄まじ。

 その「何か」は、強欲とも思えるぐらいに「犠牲」を嫌っていたように思えます。ストーリーのためにキャラクターを犠牲にする。キャラクターのためにストーリーを犠牲にする。テーマのためにアクションを犠牲にする。善のために悪を犠牲にする。嘘のために真実を犠牲にする。事実、過去の「平成ライダー」はそういった「処理」を行ってきたし、「電王」のようにそれが功を奏した例だってある(にしても「超電王」は酷すぎると思うけど)。

 でも、「仮面ライダーW」はそういった「処理」を、これでもかという程に忌避していた気がします。寧ろ「嫌っている」と思えるぐらい。

 それが時に、作劇としての「甘さ」に繋がっているところが無かったとは言えないけれど、翔太郎とフィリップの別れの涙、亜樹子のスリッパ、例えば照井の「この街は汚れていない!」、園咲家や加頭の最期、その全てが、目を閉じれば再生されるほどの感動シーンになったことと、そして何より、仮面ライダー」という名前にこれほどまで熱くなれたのは、その姿勢のお陰であることは間違いありません。

 キャラクターが良いとか、脚本が巧みとか、シリーズ構成最高! とか、そういうこと言い出したら「あのエピソードが……」とか始まって遂には全話レビューとかし出したい勢いだけれど、とにかく今はそういう姿勢を貫いてくれたことに、ただただ感謝するばかり。本当に、本当に面白い一年間でした。「仮面ライダーW」は、間違い無く名作。「ディケイド」で粉々に破壊された僕の中の「ヒーローへの憧憬」が、これからの十年に向けてより強くして芽吹かせてくれました。本当に、ありがとうございました。

 翔太郎、フィリップ、照井、亜樹子! 取り敢えず一旦、お疲れ様!!