「Gのレコンギスタ」

この間終わった、フジテレビのドラマ「問題のあるレストラン」にノれなかった。構成されている要素が全て“記号”だったからだ。

主人公も、その仲間たちも、敵対する社長も、その下の社員も、みんな「ドラマ上の一要素」だけを与えられた記号でしかなかった。気の利いた台詞でごまかされてはいるけれど、「正しい」と「間違っている」との間にくっきりと線が引かれた世界だった。

「ドラマなんだからしょうがない」という言い方もできるけど、記号だらけなら説明書を読めばいいじゃないのと思ってしまう。重いテーマを扱っているから仕方のない部分があるのかも知れないけど、少なくとも僕は「テーマ」を観るためにドラマを観る訳ではない。その世界の中に生きる人間模様を観たいんだ。その結果、浮かび上がってくるのが「テーマ」なんじゃないか、と思っている。

Gのレコンギスタ」は、少なくとも僕にとってはそういうアニメだった。

記号を張り合わせた極めて“アニメ的”な作りをしていたドラマの「問題のあるレストラン」に対して、「Gのレコンギスタ」は全然アニメ的じゃなかった。「こいつを倒せば全て丸く収まる」というラスボスは居ないし、というかそもそも敵味方の相関図がぐちゃぐちゃだし、「正しい」と「間違っている」が人の数だけ溢れていた。

全体の構造もそうだし、演出にしたって、誰かが誰かを「好き」を表現するとき、顔を赤らめたり、じっと見つめたりしない。誰かを「嫌い」だからって、いちいち顔をしかめたりしない。誰かが言った事を、誰かが100%理解してくれたりしない。常に背中を押してくれるだけの便利な白馬の王子はいない。

分かりやすいことなんて何にもない、だけどみんながそれぞれ「何か」を信じている。それらの相克を「ドラマ」と呼ぶのだ。「Gのレコンギスタ」はひたすら愚直にそういう「ドラマ」を描いていた。

最後まで正しい何かや教訓めいた「テーマ」は明示されなかった。けど、眼下に広がる風景に飛び上がる主人公・ベルリの背中に高らかに歌われる「元気のGは始まりのG!」のフレーズに、なんだか、泣けてきた。世界はよく分からないし、他人の気持ちを考えるのは面倒だ、でもそれが人生だろ! とバーンと背中をぶっ叩かれたような気がして。

Gのレコンギスタ」、本当に面白かったです。