「劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー」

 観た。ネタバレ注意。

 取り敢えず、いくつか理解できないことがあるんですけども。

 Gackt 登場シーン自体は、予告に使われている「命ある限り戦う……それが仮面ライダーだろ」という台詞が象徴する通り、熱いシーンに仕上がっていて(そもそも Gackt が「仮面ライダー」を名乗れる理由や「俺が知っている門矢士は……」とか言える前提理由が一切説明されないので、正直成立はしてないけど)、結構良かったんですよ。主題歌の PV なんかもよく出来てるし。

 で・す・が。「結城丈二」と思いっきり名前を出しているにも関わらず、変身シーンもなけりゃ後半に登場するライダーマン声も当ててない(よね?)のはどういうこと? じゃあ、あのライダーマン一体誰よ? お得意のパラレル? それとも「 Gackt だと思って観てください」ってこと?

 「一度折れかけた主人公を再び立ち上がる」という絶好のポジションを演出したキーパーソンであり、そのキーパーソンとの共闘なんて超絶に燃えるシーンだと言うのに、何でそこ別人出しちゃうの? だったら新キャラでいいじゃん。それってつまり「結城丈二」というキャラクターそのものを使い捨ててるってことだぜ。わざわざ引っ張り出してきて、そんな使いアリかよ? ライダーマン自体も全く活躍しないし。

 で、あのズラーッと並んだライダーの方もどう見てもオリジナルキャストを意識してる様ですけど(特に龍騎辺りは顕著、アギトに至ってはそのもの)、それって「ディケイド」という企画単位で考えたら完全に裏目ではないでしょうか。

 だって、そもそも何であの場にズラッとライダーが並べたかっつったら、「士が世界を巡って、世界と世界に橋を架けた」からでしょ? で、この「世界」ってのは「ライダー」とイコールなわけじゃん。だったら、今まで出てきたリ・イマジネーション版のライダーが出てくるのが筋だと思うんですけど。ここでそれをしないってことはつまり、テレビシリーズは全部無意味ってことになっちゃうじゃん。例年の様に完全パラレルだってんなら別に良いけどさ。

 「ディケイド」という企画そのものが、10 年間……下手したら 40 年「仮面ライダー」を見守ってきた(作ってきた)人間に唾を吐きかけるような企画なのに、更に一生懸命観ているテレビシリーズも無意味にするって、どこまで視聴者馬鹿にしてんの?

 いや、そりゃ勿論僕だってトリプルライダーがブォーン! とバイクで飛び込んできて、オールライダーがズラーッ! と並んでズズズズィ〜〜〜ッ! とパンしていく画には鳥肌立ったし、この映画にはそれだけでも価値があるとは一方では思うけれど、でもやっぱりさー。折角半年間観てきての大団円としても機能してくれた方が、感動もひとしおじゃないですか。

 なのにわざわざ「画だけの迫力」以外の部分を放り捨ててしまう意味が、僕にはちょっと理解しかねる。

 それは折角引っ張ったライジングアルティメットクウガ一切活躍しないとか、地獄大使死神博士の変身シーンとか、ジャーク将軍が弱いとか、シャドームーンが弱すぎるとか、W が通りすがり過ぎるとか、キングダークの意味が分からないとか、他の部分も全部そう。なのにメインストーリーはどこを拾っても破綻しているという奇跡の代物だしさぁ。

 結局、前情報が出た段階で「もしかして……」と色々妄想していたときが一番楽しい映画でした。残念です。