(新)「セクシーボイスアンドロボ」

春樹のレントゲン


 オープニングナレーションに池田秀一というキャスティングで既に勝ちだよね(何が?)。

 普段、映画でもドラマでも何でも、スタッフのことは殆ど気にしないで観るんですが、寡作らしい「野ブタ。をプロデュース「すいか」の脚本家の久々の作品、と聞くと流石に期待せずにはいられず、視聴。結論から言うと、素ん晴らしくおもろかった。「おおっ、これこれ!」という感じ。

 既にあちこちで誉められてるんだろうから、今更僕みたいなのが書くことなんて殆ど無いんですけど、もう一個一個のシーンが凄く響いて大好きでありますよ。まぁ、流石にどっかで観たようなストップモーション(っていうのかアレは?)はどうかと思うけど。具体的に挙げると、例えばカレーの卵とか、ニコと三日坊主が卵の殻を洗うシーンとか、最後のドラマを観ながらニコが泣くシーンとか、そういうシーンでは殆ど台詞を用いないで、「あぁ、俺生きたいんだ」「俺は自由なのかなぁ」とか、普通こっ恥ずかしくて書かないような台詞はストレートに書いてくる、そのバランスが響く。

 また、「野ブタ「すいか」同様、いかにもなキャラクターが皆無なのも好感。だからつってもの凄く捻くれてるわけでもなくて、例えば普通なら単なる頑固ダメ親父になるニコ父が牛乳の蓋を集めて色々ハッとしてたり、普通なら口うるさい母親になるニコ母がどーでもいいところで優しかったりする。その最たる例が主人公の一人であるロボなわけで、オタクだけどコミュニケーション不全というわけでもなく引き篭もりでもなく、ついでに言えば眼鏡も掛けてない。まぁ、町中で「マックスプァーーーンチ!!」とかやってる奴のどこがまともなんだ、って話もあるけども。

 お話にしても、三日坊主の「三日しか記憶が保たない」だとか「殺し屋」だとか、“その手”の設定は、実は全体を通して観た場合、特に意味がない。勿論悪い意味ではなくて、三日坊主の「俺にも明日はあるのか?」という問いは、ニコとロボ自身の問題(というか不安)にフィードバックされていくし、三日坊主の「殺し屋」という職業に対する向かい合いはニコ父のそれとイコールで結ばれる。でも、それでも、どうしても三日坊主は記憶が三日しか保たないし、仕事は殺し屋なんだ。なんか言いたいことがよく分からなくなってきたけど、つまりは三日坊主に向けたニコの言葉は誰にでも当てはまることだけど、それでもどうしようもなく「ニコが三日坊主に向けた言葉でしかない」のだ、ということ。ま、当たり前なんですけど、そういう当たり前のことをきちんと集中させて見せてくれるバランスが素敵。

 そして極めつけに、教授・浅丘ルリ子はニコに言うわけだ。

「あなたは、どうしようもなく世界に関わってるのよ

なんかそういう作り方が素敵だなーとしみじみ思う次第です。

 それに、もの凄く基本的なことだけれどみんな演技上手なので余計集中出来て良い。ま、「パンシャーヌ」の後に観りゃ何でもそうだろって話ですけど。ニコは文句無しだし、ロボもオーバーアクト加減が「楽しい」枠で収まってるし、締めるべきところではあんなキャラなのに締めてくれるし、文句無し。脇役陣に関しては文句を言おうと言う気さえ起こらないベストチョイスぶり。

 始まる前は、設定が設定だけにもうちょっとドタバタ風味を想像していたけれど、思っていたよりずっとシリアスで重くて、けれど明るい、期待通りの作品で御座いました。問答無用で継続視聴決定!

 因みに、個人的に一番グッと来たシーンは、マックスロボを全力熱唱するロボと三日坊主。それまで“仕事中”だった三日坊主が、そこからふと抜け出してきた瞬間を(意図的ではないにしろ)思いっきり引っ張り上げて「マックスロボ」の合唱をロボが強要し、結果的にみんな笑顔。なんかもう良く分かんないけどジーンとしてしまった。

 あと、ニコの“セクシーボイス”という設定が冒頭イマイチ理解できず(原作未読故)、声が変わった瞬間思わず「あ、イマジンか!?」と思ってしまったことをここに告白しておきます。最初からクライマックスだぜ!