(新)「くりぃむしちゅーのたりらリラ〜ン」

 特番のレギュラー化。関係ないけど、今クールで特番からレギュラー化した番組いくつあるんだろ?

 番組冒頭の「くりぃむしちゅー日テレ初冠番組」という悪あがきな宣伝文句が悲しみを誘います。オープニングの有田凱旋VTRも、バカさ加減もくだらなさも本当の初冠番組の方に力負けしているのもなんとも言えず。ま、面白いから良いんですけど。

 番組の形式は「モノシラズ」と位置づけられたゲストに対し、ある単語の意味を分かりやすくパネラーゲストが例える形式。特番時で名物キャラクターと化した湯浅弁護士も続投。くりぃむ上田との対決も続いております。

 ただ、ショウジさん(id:maikuhama)さんの書いてらっしゃるような問題点(おお、人任せ!)までしっかり続投されていて、う〜んと思ったり。

 それに、これは「トリビアの泉」なんかも抱えてる問題ですが「知識」を題材にする場合、どうしても視聴者側に「知ってる人」と「知らない人」とが生まれてしまい、そうすると番組側のコンセプトとの共有がしにくくなるような気がするのです。

 「トリビア」は、その点VTRで知識どうこう以上の面白さでどうにかしちゃうわけですが、この番組の「トリビア」のVTR的役割を果たす筈の「タトエ」が、ショウジさんが言うような「モノシラズ」達の胡散臭さ(視聴者の「お前、ホントは分かってんじゃないの?」、若しくは「ホントに分かったの?」という疑念)を消すまでに至っておらず、観ていてなんだかムズムズします。これは「タトエ」そのものの問題じゃなくて、あまりに「モノシラズ」がクローズアップされすぎる故の現象かと思います。

 ちょっと前に「笑っていいとも!」で「いいともディクショナリー」というコーナーがありました。このコーナーは、大雑把に言うと「分かり難い言葉を分かりやすく例えよう」というコーナーで、正にコンセプト的にはこの番組とほぼ同じ。唯一違う点は、お題の単語の意味を出演者は、コーナー冒頭で広辞苑に載っている説明文を読まされるため、全員一応意味は知っているという点。お陰で、(まぁ、いいともの1コーナーであるが故ですけど)「例え」そのものだけに主眼が置かれたコーナーになってました。

 何が言いたいんだか分かんなくなってきましたが、思うに「知らない」を無理に共有させようとする必要は無いんじゃないかなぁ、と。無理して「0」から始める(モノシラズ)から、それが「1」になったのか「2」になったのか、若しくはモノシラズ個人個人が、一体いくつになったら「分かった」と判断するのか(ある人は「0」から「1」になったら「分かった」でも、他は「2」じゃなけりゃ分からない、となると必然「2」の人は「1」の人より胡散臭く見えるし、最初から「3」の人から見たら……という感じ)等の問題が生まれてしまう訳で。

 だったら、最初っからみんな「1」(ある程度理解している)からのスタートにしてしまえば、先述の「いいとも」のコーナーのように、「タトエ」そのものに重きが集まる気がします。「知らない」ことそのものは、視聴者が持つ要素だと思いますし、それを出演者がわざわざ再現する必要性を感じません。

 それにどうせ「どう分からせるか」ではなく「どうタトエるか」が番組の主眼なんだから、「モノシラズ」さん達は総体にしてしまって「どれが一番分かり易かったか」という事後評価形式にしてしまえばスッキリするだろうにな〜……などと思った次第です。それだとまんま「いいとも」なんで、多少の改良は必要でしょうけど。訳分かんないこと書いて申し訳ない。

 まぁ、そんなこと書きつつも、上田のパネラー弄り(というか暴言)はどんどんエスカレートしていくし、パネラーも各々のキャラクター通りのタトエで様々な形になっていますし、最後の「実演タトエ」も面白いので、そこに集中しながら継続視聴していきたいと思います。色々言ってごめんなさい(小心者)。あとは、有田のスタジオでの妙な所在なささえどうにかしてくれれば万々歳。

 因みに、この番組でアシスタントを務める西尾アナは、僕の中で「死ねばいいのに……」の仲間入りを果たしました。おめでとうございます(?)。最後のよく分からないドラム演奏部分では、きっと毎週「上からタライ落ちてこねぇかなぁ……」と思い続ける筈です。

参考リンク & 遅すぎる感謝の逆リンク
http://d.hatena.ne.jp/maikuhama/20050407#1112804395
http://d.hatena.ne.jp/maikuhama/20041003#1096786332