「仮面ライダーディケイド」(終)

 涙が止まらない。

 あまりの絶望で。

 その場限りの感傷を煽るクッサイ台詞を吐かせた挙げ句、全く筋の通っていない啖呵を切って、何のカタルシスも感じさせない決着を着けたと思ったら、謎の引き延ばし演出を連発した挙げ句、投げっ放しで冬の映画へ。

 「倒したな」「やったな」辺りなんて、キレの悪いうんこみたいでちょー気持ち悪かった。

 なぁ、こんな最終回あるか!?

 この半年、それなりに愛着持って観て来た人間を何だと思ってるんだ? 初めてだよ、テレビシリーズを頭から最後まで観てあらゆる意味での感慨が全く湧かなかったのは。

 それはつまんない面白い以前の問題で、つまりは「ディケイド」という作品は、半年かけて何も表現して来なかったってことだ。ただただ毎週、役者動かして着ぐるみ着させて爆発させてただけ。

 先週の段階で「多分映画に続くだろう」ことは誰もが予想できたことで、その辺りのことはきっちり覚悟していたけれど、だからってテレビシリーズで何もしなくて良い訳無いだろうよ。半年間の決着を着けろよ。せめて士という人間を描けよ。「仲間」を描けよ。「仲間だ!」って言わせれば仲間を表現しているのか? 人を馬鹿にするのも大概にしろ

 蓄積の無いドラマに何の意味がある? ディエンドにちょっと叫ばせれば感動ですか? レギュラーキャラをゴミのように殺しておけばカタルシスですか? オリジナルキャスト出しておけば豪華絢爛ですか? そうやって材料さえ揃えておけば、捕まり方があまりにもダサいとか、夏みかんあっさり逃げ出せるとか、どうしてそいつらがそうやって現れるのか、そういう細かいところお座なりにしても良いと。

 辞めてしまえ

 テレビシリーズの最終回としても最低だし、単独の作品としても最低の最終回であったことは間違いない。僕の中では近年ワーストである「ULTRASEVEN X」より更に最低。

 「ディケイド」という作品が、僕に半年掛けて教えてくれたのは「どんなに騒ごうが、キャラクターは偉い大人のモノ」ということだ。どんなに僕の様なミソッカスがぶーぶー喚こうが、偉い大人がこういう企画を作ってしまえばいくらでも自由になるし、ガワさえ一緒ならとことん利用されていく。それでヒットしてるんだから、僕の文句なんか本気で取る足らないんだ。「ファンの声援」だとか、「愛情ある思い入れ」だとか、そんなものは所詮幻であり、版権会社の利益に多少の上乗せをする程度の意味しか無い。

 それが真実である。ディケイドは、そういう真実から目を逸らして来た僕の意識を破壊してくれた。そういう意味では破壊者。

 よく、僕の様な人間を揶揄するときに「子供向け番組に何ムキになってんの」というのがある。実際、街中でディケイドの真似している子供はよく観るし、ガンバライドや映画は大ヒットしてるんだから、つまりはそういうこと。

 でもさ。

 小学校上がる前の僕は、「BLACK」のエンディング映像に本当に痺れていたんだ。「RX」で、RX が変身するまで本当に心臓ドキドキさせながら待ってたんだ。「クウガ」の最後の対決で目頭熱くしたんだ。「ディケイド」そのものにしたって、これだけ毎週文句垂れながら「それでも、来週はもしかしたら面白いかも知れない」と信じて見続けて来たんだ。それは、つまりこの 40 年に対する信頼なんだよ。「仮面ライダー」というブランドではなくて、僕を、本当に心躍らせてくれたということ。それを作ってくれたという事実に対する信頼なんだよ。

 そういうものまで破壊する権利が偉い大人にはあるんですか?

 ……あぁ、何か物言いが中学生みたいになってきた。恥ずかしい。

 この半年、「ディケイド」を観ていて心躍る瞬間が無かったとは言わないけれど(オリジナルキャストの登場や、ディケイドそのもののギミックは何だかんだ言ってハマった)、振り返れば毎週毎週幼心に釘を打たれている様な日々でした。確実に「ディケイド」は僕の中の何かを殺したし、今「ディケイド」が示している道は、本当の意味で全てを破壊する道だと思う。次回作「W」に限らず、あらゆる作品が見習わないことを祈る。

 ……こんなことをダラダラ書きつつも、きっと 12 月の映画は観に行くでしょう。作品としての期待は皆無だけれど、それでも見届けるのが最後の義務だと勝手に思ってる。

 ただただ、今は哀しい。いつも以上にまとまらず、自分の能力の無さもまた、哀しい。