ラーメンズ第 12 回公演「ATOM」

ATOM


 取り敢えず、まず言っておきたいのは、画面が暗い。うちのビデオデッキやテレビが悪いのか、元々の撮影が悪いのか、とにかく画面が暗くて見難いことこの上無かったです。しかも、舞台も黒一色、ラーメンズ二人の衣装も相変わらず黒一色と、見難さに拍車をかけていて、特に影に入ったときなどは、見え無すぎてそれで笑ってしまうほど。もうちょっと照明炊いてくれると嬉しいなーなんて……まぁ、うちの 10 年もののビデオデッキが悪いんでしょうけどね!(何故か逆ギレ)

 そんなわけで、ラーメンズ行脚第二弾、「ATOM」です。事前評判を聞いて望んだ前回の「CHERRY BLOSSOM FRONT 345」とは違って、今回は何の評判も聞かずに望んでみました(…と書くと狙ってたみたいですが、単に忘れてただけです)。

 「CHERRY〜」を「演劇風コント」と位置付けると、この「ATOM」は完全な「演劇」でした。そこには明確すぎるぐらいの「脚本」が燦然と輝いていて、その「脚本」にはやはり明確な“意味”があり、“意思”がありました。展開の仕方も、コントっぽい「フリ」や「オチ」などではなく、ちょっと典型的すぎるぐらいの“起承転結”で、そこには完璧なる「ストーリー」があります。「CHERRY〜」の感想文の時に、「ある忽然とあるシチュエーションから一瞬を切り取った感じ」と書きましたが、今回の場合、ひとつひとつがシチュエーションそのもので、そこに始まりそこで完結する印象の強かったです。

 これを、「コント」のフォーマットでやられると多少鬱陶しいというか、鼻に付く部分があったりするのですが、このビデオの場合、フォーマットが完全に「演劇」(というか小劇場的というか)なので、その辺違和感無く受け入れることが出来ました。気になっていた舞台芝居の方も、演劇なら難なくフィットしております。

 その中でも圧巻なのは、落語のコント(便宜上こう書きます)と体育館のコントでいきなり始まる小林の一人芝居。前者は、設定自体はハッキリしてるのに、世界観に掴み所が無く、でも手法はちゃんと落語的、と良い感じで訳が分からなくて、後者は小林の恐るべきまでの芸達者ぶりで、シチュエーションの説明を自然に説明しつつ、心の領域が不安に侵されていく様子を、笑いにはしつつもリアルに表現していく様には、素直に「凄いなぁ」と思わされました。

 そこに加えて、前回同様、「笑い」としての手法も、ちゃんと維持・発展させている感じも凄まじかったです。特に、前回書いたような「違和感の植え付け」は切れ味を増していて、まず最初に観客にドーーーンと違和感の塊を置いていって、コントが展開していくにつれて、その塊を少しずつ削り取っていくように違和感を指摘していきながら笑いを生んでいく様子は圧巻ですらありました。それがよく表れているコントが、やはり落語コント。そこに明確な説明は無いのに、少しずつ観客に理解させて笑いにしていく様子は、うっすら感動すらしました。

 ただ、「演劇になる」ということは、それだけ脚本に忠実になったということで、それはつまり、舞台の上での優先順位が「脚本」が先になり、「役者」が後になってしまった感があります。そのお陰で、「CHERRY〜」ではどのコントにもあった、ある程度の役者、芸人としての“不確定要素”……人間の“体温”と言い換えてもいいです……が、大変希薄になってしまったのは、個人的にとても残念です。僕としては、やはり「その脚本を演じる芸人」ではなくて、「その芸人が演じている脚本」であって欲しいという願望があるので、その舞台が演劇としての完成度を上げれば上げるほど、それを演じる芸人達に求められるのが「演技力」や「表現力」、同時に「演出力」“だけ”になっていくのは、ちょっと寂しいなぁと思ってしまうので。

 そういう意味で、今回も入っていた「怪傑ギリジン」は、僕にとってはとても安心できる材料でした。完成度が背筋が寒くなるぐらい高いコントの間に挟まれるこのコントは、ただただギリジンが歌うだけという画で、小林の存在理由も、そもそもお前誰なんだよ?みたいな説明も一切されず終いで、最後にはギリジンギリジンを押しつけようとして失敗し、半ば本気で切羽詰まり始めるギリジン(というか片桐)の表情が、面白くもあり、ホッとも出来ました。

 そんな感じで、この「ATOM」は、非常に完成度の高い演劇を見せられたような感じでした。特に最後のコントなど、ラーメンズじゃなくて、どこかの劇団がやってもハマるような、ちゃんとした演劇でした。感覚としては、とてもコンセプトアルバムっぽいと感じました。コントそれぞれに込められている“意思”もそうですし、それぞれが集合体になっているこのビデオを題している「ATOM」というタイトルもそう。そういう意味で、「表現」という意味がピッタリなビデオだったなぁ、と思いました。それが、良いことなのか悪いことなのかは分かりませんが、取り敢えずラーメンズの実力の凄まじさだけは、痛いほどに分かるビデオでした。

 でも、やはりまだ別格視までは行かず。やはり、こういうのは芸人それぞれの“特性”の内なんじゃないかなぁ、という気がします。良い悪いではなく、「ラーメンズはこういう奴ら」「他の芸人はそういう奴ら」という“区別”の段階。ラーメンズが、希少なのはよく分かりましたが、やはりそう思って“いたい”という部分が、僕のどこかにあるのかも知れませんね。