お笑い遍歴?


http://d.hatena.ne.jp/toronei/20031216#p4
http://d.hatena.ne.jp/REDDEVILS/20031217#p1
http://d.hatena.ne.jp/toronei/20031217#p16

 この一連の話を読んでいたら、無性に自分も書いてみたくなったので、誰にも面白くないお笑い遍歴みたいなものを、深夜のテンションでダラダラと書くことにします。全部記憶で書いているので、時系列等おかしいところがあったらご容赦下さいませ。

 基本的に音のない空間に耐えられない子供だったので、物心付いたときには、我が家は、僕が保育園行っている時間以外は、ほぼずーっとテレビが付いている家でした。でも、大抵は「ついているだけ」で、真剣に観ていたのは子供番組だけでした(ポンキッキウゴウゴルーガ等)。

 で、その内僕の「お笑い」の原体験である、「志村けんのだいじょぶだぁ」「ドリフの大爆笑」のふたつがそこに加わりました。大好きで大好きで、毎週毎週、夕飯抜いてでも観ていました。つけっぱなしだったんだから、これ以外のバラエティも観ていたはずなのだけど、今でも記憶しているぐらい集中して観てたのはこのふたつだけでした。

 というのも、当時の僕は大分頭の悪い子だったので、フリートークや漫才と言った「機微」がある笑いには全くついていけなかったのですね。誰かがボケても、誰かが突っ込む頃にはボケを忘れている、そんな子供。だから、基本的な「笑い」が「動き」と「映像」に集約しているドリフや、その延長線上にある志村師匠の方が好きでした。

 この傾向は、今も大分残っていて、今はまぁ動きが良い若手はほぼ皆無と言って良いと思いますが(ナイナイ岡村が居るけど、もう若手じゃないですしね)、もし動きの良い、ネタはいまいちな若手が出てきたら、僕は大分いいサクラになれると思います。

 子供の頃のそういう体験のお陰で、今やドリフターズ及び志村けんと言う人は、僕にとって永遠のスターです。姿を見るだけで嬉しくなれる存在。多分、極端な話、5 人の内の誰かがこれから犯罪を犯したとしても、僕の気は全く揺るがない。それぐらい大好きなのです。だからこそ、「バカ殿」だって毎回観るし、「志村流」だって毎週観る、且つ笑うのです。

 でも、その内「だいじょぶだぁ」が終わり、「ドリフの大爆笑」の放送間隔が広がり始めまして、観る番組が段々減っていく時期があって、僕は寂しさを紛らわすために、次なる番組を探し始めました。で、そこで出会ったのが「とんねるずのみなさんのおかげです」とウンナンの番組でした。

 「みなさん」は、とんねるずどうこうよりも、やはり「仮面ノリダー」。当時の僕にとって、最強の笑いでした。仮面ライダーは既に大好きだった上に、「動き」も「映像」も文句無しに詰め込まれていて、毎週毎週、本当によく笑いました。毎週、レバー引いて石橋を登場させるのだけが仕事の岡田眞澄とか、好きでした。あと「がじゃいも」「ガラガラヘビ」だったら、今でも 1 番ならソラで歌えます。それぐらいハマってたのです。

 とんねるずの低評価、というものは理解できますし、その通りだと思うこともしょっ中ですが、それでもテレビっ子になりかけていた僕にとっては、とんねるずの「仮面ノリダー」は完全に「お笑いのヒーロー」だったので、どうしても心から低評価を与えることは出来ないでいます。好きなんですね、要するに。

 ウンナンも、番組名は忘れましたが「ナンチャンを探せ!」とか「マモーミモー」とか大好きで、保育園や小学校で、数少ない友人と真似ばっかりしてました。あとウッチャンの、ジャッキー・チェンと共演企画とかも好きでした。毎週毎週、いつ共演するんだろう、と楽しみにしてたんですが、結局実現せず残念。あ、当時既にジャッキーは好きでした。

 その頃から、段々テレビを見る幅が広がってきて、小学校中学年頃には、夜 11 時以前のバラエティは大体観ている様な状態になっていました。ただ、これが中学まで続いた所為で、深夜番組だった「新しい波」「とぶぐすり」等の、今のゴールデン番組の原型番組の殆どを完全スルーしてしまったのですが。かなり悔しい。あと、フジの 27 時間(年によって 24 時間だったり 28 時間だったりしますが)も、観てた筈ですが記憶に殆ど残ってない。大喜利とかやってたらしいんですが。ああ、悔しい。

 でも、相変わらずトークに対する苦手意識は続いてて、同じとんねるずの「生ダラ」とか観てもちっとも面白がれず、やっぱりコントだよコント、コントが一番!みたいな意識が若干僕の中で芽生え始めた頃、始まったのが「ごっつええ感じ」でした。

 ただ、僕にとっての「ごっつ」は、完全に志村師匠やドリフの延長線上の存在で、相変わらず「動き」と「映像」の番組でした。その上、ダウンタウンのコントも観たこと無かったですし、この番組の何が凄かったのか、正直未だによく分からないのですね。ネット上で散見される、「ごっつ」の異様な再評価とか、松本人志のことを「天才」と呼んだりとか、更には松本人志の著書での異様な自信とか、そういうのには若干違和感を持っていたりします。いや、毎週笑ってたし、終わったとき本気で哀しかったほど好きでしたけどね。「オジンガーZ」とか、「おやじ」とか。当時の感覚では分からなかったのです。だから、ホントにDVDでもう一回観て確認したいです。

 そんな感じで、コント大好き、トーク分からない!で進んできて、初めて「明石家さんま」という人を実感したのが「南の国から」と題された、前作の「心はロンリー」でした。多分、それまでも何回もさんま師匠のことは観ているはずなのですけど、トークが苦手だったせいか、断片的に映像として思い出せるだけで、殆ど記憶に残っていません。

 この「心はロンリー」の、余りのくだらなさに大爆笑した僕は、一発で「明石家さんま」と「大竹しのぶ」(幽霊役で出演)の名前を頭に刻み込みました。

 それをきっかけに、さんま師匠の番組もチェックするようになってきて、最初は全く付いていけなかったけどその内、トークの面白さがじわじわ分かるようになってきて、そこから「爆笑ヒットパレード」や「笑点」とかで漫才を面白がれるようになってきました。そして、ラジオも徐々に聴き始めました。そういう意味では、さんま師匠は僕の笑いの窓口を広げてくれたと言ってもよくて、かなり感謝しています。まぁ、さんま師匠には直接関係ないですけどね。あ、でもid:toroneiさんの様にスポーツ方面には行かなかったなぁ……なんでだろ。番組は観てたんですけどね。

 でもやっぱり、さんま師匠さえも当時の僕にとっては「動き」と「映像」の人であって、常に必死で、画面にスペースを許さず、常に「笑わせたる」というオーラを放ち、そしてちゃんと笑わせてくれるさんま師匠が好きでした。正に、ナイナイ岡村の言うところの「お笑い怪獣」という印象そのまま。

 で、そのさんま師匠が、僕の中での志村師匠と同じ位置まで来たのは、2001 年の 27 時間に於ける「ミリオネア」であり、「フジ大反省会」であり、村上ショージとのケミストリーでした。そう、さんま師匠を「師匠」と呼ぶようになったのは、割と最近なんですね。

 だから、僕が少し特殊なのかも知れないけど、id:toroneiさんやid:REDDEVILSさんが「痛々しい」と表現する最近のさんま師匠が、僕は最近、特に好きだったりするんですね。何故なら、最近のさんま師匠は「必死さ」に拍車がかかったお陰で、「動き」と「くだらなさ」という、僕がさんま師匠を好きになった要素が、フル回転し始めているから。僕は、最近のさんま師匠の必死さが(ヤングタウンとかで、若いアイドルに必死で説教する姿なんか大好き)、もう嬉しくて嬉しくて。まぁ、さんま師匠の全盛期を完全にスルーしている、ってのもあるんでしょうけど。

 僕は、基本的に芸人はみんな好きで、笑いは笑えればそれでいいという単純なことしか考えてないからか、今のお笑い、本当に大好きですよ。ま、テレビ限定ではありますが。これからは、舞台とかライヴとかも観に行きたいです。

 ……あ〜近年希に観るぐらい長く書いたのに、結局まとまらなかったなぁ〜……しかも全然面白くない。ごめんなさい。来てくれるあなたにごめんなさい。読んでくれたあなたにごめんなさい。そして、突然リンクしてしまったid:toroneiさんとid:REDDEVILSさんごめんなさい。

 もしかしたら、少しずつ書き直していくかも知れませんが、その時はもっとすいません。