はてなダイアラー映画百選

  • 【スタッフ】
    • 原  作:景山民夫
    • 監  督:今沢哲男
    • プロデューサー:鈴木徹 / 久岡敬史
    • 脚  本:岡本喜八
    • 企  画:田宮武
    • 作画監督:大倉雅彦
    • 撮  影:細田民男
    • アニメキャラクター・デザイン:大倉雅彦
    • 音  楽:ニック・ウッド
    • 美  術:山本二三

 映画というものは、個人の体験であると同時に、共有する喜びを内包しているように思います。

 孫である僕の我が侭に付き合って、ドラゴンボールやらなんやらの「東映アニメフェスタ」系に連れて行かれては、密かに辛そうにしていた祖父。その祖父が、初めて僕に「面白かったね」と言ってくれた映画が、この「Coo / 遠い海からきたクー」でした。祖父は、6 年ほど前に他界してしまいましたが、その記憶はこの映画と共に、深い喜びとして残っているのです。

 正直に書いてしまうと、この映画はもの凄く良い出来の映画とは言えません。途中の展開が余りに急だったり、大佐の行動の意図が不明瞭であったり、途中に出てくるお題目が若干取って付けたような印象を受けてしまったりと、色々と問題があるように思います。

 ただ、僕にとってこの映画は、祖父の初めての言葉とその時の表情。そして、人生で初めて味わった「映画の共有」の喜び。それらと一緒に心に挟み込んだ大切な映画になっています。そんなわけで、僕は今回この機会に、「Coo / 遠い海からきたクー」を紹介させていただきます。

 この映画は、景山民夫の同名の直木賞小説を映画化したものです。南国の穏やかな島、パゴパゴ島に住む小畑洋介は、激しいスコールの翌日、登校途中の砂島である生物の赤ん坊を拾います。学校をサボって帰宅し、海洋学者である父の小畑徹郎に見せたところ、それは 6500 万年前に絶滅したはずのプレシオサウルスの赤ん坊だと判明するのです。刷り込みの本能によって、その赤ん坊の母親となった洋介。洋介と徹郎は、友人の旅客機パイロット、トニーも交え試行錯誤を繰り返しながら、「クー」と名付けたプレシオザウルスの赤ん坊を育てていきます。

 しかし、そこにフランス軍の特殊外人部隊アイフル」がクーを狙って襲撃してきます。謎の女性カメラマン、キャシーの力を借りてなんとかその場はやり過ごしますが、アイフルにはクーの存在以上に、引けない理由がありました。

 僕にとって一番この映画に惹かれる理由は、やはりその作画力です。つまりは絵の力。島、島の前に広がる海、海の底。海の中に住む生物たち。特に、イルカ夫婦の泳ぐ姿と空と海のコントラストは美しくて美しくてたまりません。そして、吹き抜ける風の感触まで画面から伝わるようで、公開当時の僕は幼いながらも「アニメの可能性」というものに身震いをしました。そしてラストシーン。あのラストシーンは、未だに僕の中で最高位の作画シーン、あらゆる人に観て欲しいシーンであります。今考えてみると、これ以上にもっと凄いアニメ作品は既にあったように思うのですが。

 そして声優陣。洋介役の山崎裕太は、確かに子役特有の棒読みで、評判もあまり宜しくないようですが、個人的にはそれが逆に洋介というキャラクターに感情移入しやすくしてくれていて(まぁ、当時山崎より更に年下だった、ってのもあるのでしょうけども)とても好感を持っています。「さんま大先生」出身だしね。プロの声優陣は当然のお仕事ですが、伊武雅刀山口智子さんは、最近知ってもの凄く吃驚してしまいました。観ていた当時は、普通にプロだと思っていたほどのハマり具合だと思います。まぁ、僕自身があんまりドラマとか観てなかったから余計にハマったのだという部分も少なからずあるとは思いますが、そこを差し引いてもとてもいい仕事をしてくれています。この二人に関しては、知った後にアニメ観てても、本人達の顔が全く浮かびませんので。

 ストーリーとしては大きく分けて、この映画は二部構成となっています。一部は、クーとの出会いとクーの成長期。南国の島の暖かな雰囲気と、広くて美しい海の中で、クーは成長します。 50 センチだった体長が 1 メートルに。半固形物だったエサが固形物に。そういったプロセスを経る内に、洋介は「親心」に似たものを獲得していきます。僕は、この過程の途中にある、父・徹郎から亡き母の自分が幼かった頃の様子を聞かされるシーンがとても好きです。親心を獲得した息子が聞かされる自分の親心。とても何気ないシーンではありますが、とても心にすぅっと残っていくシーンだと思います。

 そして、二部はクーの争奪戦です。小畑家に、なんと自動小銃持った軍人が襲ってきます。しかもこの背景には、国家規模の陰謀が隠れています。その目的は、「E.T.」の様な単純にクーを捕らえて手柄に……という手のものではなく、ある社会問題に関連した、プレシオサウルスを他のあらゆる海洋生物に置き換えても問題足り得る問題。そして、キャシーの属する組織は、実在するそれらの問題に反対する組織。それらの要素は、プレシオサウルスという架空のガジェットを通して、当時の国際情勢に対する痛烈な批判を映画にもたらします。

 個人的には、この展開は少々強引なような感じがするというか、暖かな風景に突然黒鉄の銃が乱入してくる様子に違和感を押さえ切れません。ただ、これは批判の対象となっている問題を考えたとき、それは「あらゆる日常に起こり得る悲劇」であり、この描き方もある意味ではとても正解なのかも知れません。

 ただ、こういった大きな批判の側にポッと置かれている問題提起の方が、劇場公開当時小学生だった僕には強く印象に残っています。徹郎の葛藤と、それを受けて洋介が出す答え。この単純でありながら難しい問題、引いては人類がなが〜〜〜〜い間悩んでいる問題は、今も僕の中に小さく小さく、その影を落としています。そして、洋介の決断によって命を落とす“友達”。彼の死には一体どんな意味が、と考えたとき、“犠牲”という単語の意味するところを知りました。

 この機会につらつらと考えてみると、この映画は結構な割合で僕の基本的な部分に色々と影響が残っているのだなぁ、と気付かされました。僕にとって、この映画は祖父との思い出であり、同時に僕の根幹に根ざす映画だったようです。

 ただ、僕は洋介のように強くなることも出来ず、徹郎のように葛藤する道さえも放棄する弱い人間に成り果ててしまいました。そして、この映画によって、大切な思い出を共有したはずの祖父にも、僕は取り返しのつかない酷い行いをしてしまいました。祖父が亡くなった今、僕の心に恐らく、僕自身が死ぬまで後悔し続けるだろう行いを。

 果たして僕は、あの日劇場の外で僕に「面白かったね」と笑ってくれた祖父に、僕が貰った思い出と同じ事がしてあげられたのでしょうか。その答えは誰も知らずどこにもありません。ただ、僕の心に大きな影として残るだけの事象でしかないのです。そう言う意味では、この映画は僕の大切な思い出であると同時に、僕の贖い難い心の影を思い出させるきっかけをくれる、一生付き合ってくれる監察官のようなものなのかも知れません。つまりは、この「Coo / 遠い海からきたクー」は様々な意味で、僕の人生にとってやはり重要な映画だったのだと思います。

 映画に対しての感謝、そして初めての思い出の共有者祖父に謝罪の意味も込め、「ありがとう」といつ如何なるときでも心から言える映画です。そういう映画に出会えたことを、どんな事情があれ、僕は幸運に思います。何度でも、ありがとう。

 映画とは直接関係ないことまで書いて、企画趣旨に若干反してしまってすいません。全て含めて、この映画に対する思い入れと思っていただければ嬉しいです。この映画は、レンタルでもなかなか出ておらず、DVDもリリースされておらず、VHSは既に絶版で、今観ようとすると大分困難な模様です。それでも、もし、何かの機会に観ていただけたら、僕は嬉しく思います。感想は様々でも、きっと何かを思い出したり、何かを覚えたりしていただけると思いますので。あと、原作本を読むという手段もありますね。実は僕は、未だに原作は読んでいなかったりするのですが。僕にとって、やはり「クー」は映像ありきであって、文章で読むのは何か違う、という気が観てからの刷り込み的な何かがあるようです。近い内に読みたいとは思っているのですが、いつになることやら……。

 さて、そんな訳で僕の「はてなダイアラー映画百選」は以上です。毎度のことながら長々とすいません。読んで頂いた方、有り難う御座いました。僕の次のバトンはid:sappukeiさんにお渡しします。この管理人さんは、以前に「時計仕掛けの倫敦兎」など、いくつかの創作文系のサイトをやっておられた方です。その頃も映画のレビューなさっていて、その頃の文章が好きだった身として、受験中でお忙しい中申し訳ないと思いつつ、この度ご依頼した次第です。どんな映画を選び、如何に書いていただけるのか、僕もとても楽しみにしています。

 それでは、id:sappukeiさん、宜しくお願いします。