もの凄く時期はずれの話題。


http://www4.justnet.ne.jp/~nari/( 2 月 16 日・20 日分)

 青空球児・好児師匠のネタをおぎやはぎのりお・よしお師匠のネタを笑い飯でカヴァーというネタの完成度が素晴らしすぎるので紹介。冗談抜きで、こういうネタを作れる人を一介の会社員にしておくのは勿体ない感じです。

 でも、今更おぎやはぎ版の方について、もの凄く個人的な好みで行くとと、やはりあのネタは球児師匠の「いーーるーーよーーー!」というキレが肝なので、おぎやはぎであろうが、やはりこのネタは師匠の方が好き。例えるならば、ローリングストーンズを松浦亜弥にカヴァーされているような感覚。

 多分、青空球児・好児師匠のネタを、「ボケとツッコミ」のフォーマットで考えるから変な感じに思ってしまうんであって、あれは完全な好児師匠による球児師匠の弄り芸なのです。

 設定として、球児師匠は「とにかく故郷を凄く見せたい」という人で、好児師匠は「球児の故郷は知ってるが、そこはあえて知らない振り」という人というのがあるので、そこからしてもう「ボケとツッコミ」のフォーマットではない。極論しちゃえば、球児・好児師匠のネタは漫才じゃないとも言える気がします。

 で、このネタの神髄(客が注目すべき点)というのは、勿論球児師匠の「ゲロゲーロ」と、そこに至るプロセス。球児師匠の故郷に対する見栄が、好児師匠の意地悪な質問によって化けの皮剥がれていって、その剥がれた部分を補強するために最後の手段として繰り出すのが「ゲロゲーロ」。

 で、「ゲロゲーロ」を引き出した好児師匠が「うわーこいつばかだおもしれー」という気分になってきて、もっともっと引き出した後、最後に「メスガエルは泣かないんだよ(=もうバレてるよ)」で締めて、球児師匠ガックリ、という完成度の高いネタなわけです。

 だからこそ、球児師匠はどんどんムキにならなければならないし、好児師匠はもっと好児師匠を転がさなければならないのです。そうしないと、締めの言葉が活きてこないから。

 例えば、好児師匠がピエールさんの指摘のような的確なツッコミを返したとします。すると好児師匠の立場は球児師匠より上になることは無くなってしまいます。少なくとも、「ゲロゲーロ」に至る道のりは少しずつ長くなっていくことになります。後半の息切れも活きてこない。和田アキ子だって「ゲロゲーロ来るまでドキドキ」しなくなる。

 球児師匠は、常に思慮を欠いた状態(=ムキ)になった状態であるからこそこのネタは成立するのであって、球児師匠が少しでもツッコミをしようものなら、その時点で途端にネタとしての熱は醒めます。さっきまで的確なツッコミをした人が、ムキになり直すにはもう一回同じプロセスを踏まねばならないから。

 このネタは、ベテランの味だとかブランドといった部分以外にも、ネタとして計算され尽くした部分と、お二人の確たる実力によって成された素晴らしいネタだと、僕は思うのでした。ちゃんちゃん。

 っていうか、面白くないと思っている人に「これは面白いんだよ!」って訴えるのってもの凄く不毛ですねぇ……やめときゃよかった。

参考リンク:http://d.hatena.ne.jp/moukore/20040214#1076778465

(参照:テレビの土踏まず