生音と打ち込み。


 「打ち込み=ダメ」とは全く思っていなくて、要は使いようだと思うわけです。例えば、人間じゃ演奏不可能な音数のベースラインだとか、高速リズムのドラムであったり、感覚的な話だと、人の“手癖”が要らないとき、無機質な感じが欲しいときなど、そういうところでちゃんと意味を持って使っているなら、打ち込みだって僕は好きです。

 例として、B'zで申し訳ないですが、B'zに「May」という曲がありまして、この曲ではドラムが全編打ち込みとなっています。この楽曲の場合、打ち込みドラムによる無機質感が楽曲にマッチしまくっていて、後にライヴでこの曲を人間のドラムで聴いたときには、どうしようもない違和感がありました。

 でも、人間でも演奏可能で、無機質どころか寧ろ人の手癖が欲しいところでも、全部打ち込みで処理されているのを聴くと、やっぱり感覚として「手抜きしてるんじゃ」とか「金掛けて貰ってないなぁ」とか思ってしまうのは事実ですが。

 で、「生音」の良いところとして、人の手癖の他に、「空気感」というのがあって、例えばスネア叩いたとき、スタジオ空間中に“響いてる”感じが良いわけで、そこをちゃんと再現できてこそ「生音」と言えるのだと思っています。

 先日の安倍さんのアルバムの感想文でも書きましたが、折角色んなスタジオミュージシャン連れてきているのに、この「空気感」や生音としての周波数(?)がとても希薄になっていて、空気感を削がれた生音なんて打ち込みと大差ないわけで、何故にわざわざそういうことをするのかが分からないのですね。アイドルポップス系に限らず。

 生音に「空気感」が無い、というのは十中八九エンジニアの仕業で、録音そのものが杜撰なのか、それともミックスが杜撰なのか、それとも全て意図的なのか分かりませんが、何にしてもそれがベターだと思えるケースは少ないなぁ、という話。

 あー何書いてもみっともない言い訳にしかなってないからもういいや。要するに、「全ては使いよう」ということで。もうよく分からんなくなってきた。