「仮面ライダーW FOREVER AtoZ/運命のガイアメモリ」

 全ての小学生以下の男子、またはかつて「ヒーロー」という存在に涙し、喜び、待ち望んだ記憶がある全ての人間必見の、娯楽ヒーロー映画の傑作。

 上記に当てはまる方なら、例え「W」を未見でも公式サイトで人物設定をサラッと洗っておけば十分に楽しめますので、騙されたと思って観に行って下さい。お願いだから。別に 3D で観なくてもいいので。さぁ!

 今年、あと何十本映画観るか分かりませんが、もう贔屓目と願いを込めて今年の No.1 決定です。だから何だって話ですが、とにかく誰かに観て欲しい。平成ライダーの劇場版で初めてそんな気分になっております。

 最初、「去年のうんこ大戦映画の反動で良く見えてるのかな……」と思っていたのですが、録画していた番宣番組での「さぁ、お前の罪を数えろ!」シーンを再見して涙腺が緩み、先週の「W」の OP に差し込まれた映像を見てテンション上がって咆吼。もうこりゃ末期だな、と思って人生で初めて劇場で再見。劇場を出た直後、「やっぱり傑作や……!」とエセ関西弁を思わず漏らしたので、もう間違い無し、ということで久々にこの過疎ダイアリーを更新する気にもなったって訳です。

 勿論、細かいところで「あそこはああなった方が良かったなぁ」「ここはこうなった方が良いんじゃないか」とか、色々無くもないけれど、それでも僕がこの平成ライダー 10 年の歴史で欲しても欲しても得られなかった数々の「ヒーロー映画」に求める全ての物が詰まっていたのでそんなことはどーでもいい!!

 この映画の良いところは、画的には押さえるべきところを押さえまくったアクションの数々、シナリオ的には「W」を象徴するキーワードである「 2 人で 1 人」を、改めて作品の根底にあるコンセプトだと、しつこいぐらいに教えてくれるところです。

 翔太郎が苦しんでるときは、フィリップが助ける。フィリップが苦しんでるときは、翔太郎が助ける。そういうある種の補完関係は、この作品で表現されるあらゆる関係性に適用されています。善は「 2 人」、悪は「独り」。一種単純でご都合なその関係性を、それでも作り手が大いなる希望を持って提示しよう、という心意気がガシガシ伝わってくるのです。翔太郎とフィリップから、翔太郎と所長、フィリップと所長、照井と所長、翔太郎と照井、「W」と「アクセル」、「仮面ライダー」と「NEVER」、等の登場人物から始まり、「母子」という人間関係の基盤を通り、最終的には「人々」と「街」の関係にまで波及した先で訪れるクライマックスの展開に、オレは泣いた

 あれを「ご都合だなぁ」と思う人もいると思うけど、「仮面ライダー」、引いては「ヒーロー」という存在がどういうものか、というこれまでの平成ライダー面倒臭い理屈に堕すしかなかったテーマを、たったワンシークエンスで表現した「ヒーロー作品」の見本のような傑作シーンだったと思います。具体的に何故そう思うのか説明したい! したいけど、ネタバレは嫌だ!! なので観に行ってください、お願いだから!!(必死)