「仮面ライダー THE FIRST」

 とうとう観た。劇場数が少なくて、「わざわざ渋谷まで出向くのもなぁ……」と渋っている内に終わってしまったこの映画、見事に酷評かせせら笑いしか目にしないという驚きの評判から、戦々恐々としながら拝見致しましたよ。

 因みに、この映画の「原作」となっている石森章太郎版「仮面ライダー」に対しては、「面白いけれど、積極的に好きではない」というような感じ。僕の「仮面ライダー」の入り口はあくまでテレビで観た「仮面ライダーV3」や「仮面ライダーBLACK」なので、「テレビの仮面ライダー」が一番好きなのです。

 そんなわけで、かなり覚悟して観たわけですが、それが功を奏したかどうかは分かりませんが、見終わって一番最初の感想は「思ったよりは酷くなかった」。寧ろ、この程度で「超映画」だの「トンデモ映画」だのと評されるとは、思っていたより世間の了見ってのは狭いもんだな……とすら思いました。

 ただ、面白いかったかというと……というか、「面白い」とか「つまらない」とか言う前に、その痒いところへの手の届いて無さっぷりにはとにかくげんなり。曲がりなりにもヒーロー映画である以上、押さえるべき勘所というものがあって、「仮面ライダー THE FIRST」と謳っている以上、平成ライダーなんぞ目じゃないぐらいにそこを押さえて貰わないと困ると言うのに、結局は製作側の「俺が作る仮面ライダー」の自慢大会に終始。ホントげんなりです。以下、順にそのポイントを挙げていきますよ。

 まずアクション。全般的にライダーのアクションは頑張っていて、スピード感もあるし工夫もあってなかなか格好いいのですけど、肝心のライダーキックがもう絶望的にダメ。なんてったって、ワイヤーでフワ〜っと浮かんでいくからね。「ライダーキック」なのに、重みも威力も勢いもスピードも画面から感じられず、どう見ても「持ち上げただけ」。それでも敵は苦しんで爆発。この画のマヌケさが理解できず、これを「カッコイイ」と思ってやってる時点で色々致命的です。

 っていうかさ、それまで飛び跳ねて、殴って、交わして、走って、蹴って、投げてる仮面ライダーが、急にそこになってフワ〜〜〜ッと浮いていく画が、どうして「カッコイイ」と思えるのか、本当に全く一切理解できない。ホント、特に日本の特撮ではワイヤーアクション禁止にしてくれませんかね。

 更に言うと、ワイヤーアクション時のライダーキックの姿勢は固まったまんまで動きゼロでカッコ良くないし、バイクからのライダーキックは姿勢が決まって無さ過ぎてカッコ良くないしで、「ライダーキック」に関しては 0 点でした。

 次にデザイン。1 号と 2 号のリファインデザインは素直にカッコイイと思うし、風車が回るだけという地味にも程がある変身や、「仮面を被る」という単に 1 動作多いだけで何の効果も生み出してないマヌケ設定も、百歩譲って「原作に忠実」と思えば我慢出来ます。ただ、仮面をしてるのに生身の首が見えてるというのは……。

 あのさぁ、仮面から髪の毛が見える、とかそんな陳腐なリアルに拘るのは結構ですけど、こうやって首だけ生身ってことのマヌケさが理解出来てない時点で「リアル」じゃないんですけど。だって、ベルトの風車が回るだけでスーツが着用される設定ですよね? なんでそんな技術があるのに首だけ包めないの? もし、首を狙われたらスーツの意味無いですよね? 「改造人間だから生身でも丈夫」? じゃあスーツ着て仮面付ける意味って何? そういうとこに考えが及ばないから、「仮面ライダー」に限らず最近の「リアル志向」を謳った特撮はどれもこれもマヌケなんだよバーカ。

 次。「仮面ライダー THE FIRST」とまでタイトル付けてるのに、誰も「仮面ライダー」と呼ばないというのは本気で理解に苦しむ。「仮面ライダー」という名前を使う自信が無いなら別の新作にすればいいし、もしも「仮面ライダー」という名前を使うこと自体を「なんかダサい」とでも思ってるのならそもそもリメイクなんかしないでくれ。過去の栄光を都合良く利用しておいて、その実何のリスペクトも無いリメイクに何の意味があるのか。

 てっきり、ヒロインの「雑誌記者」という設定を活かして、人知れず人を救うバイクに乗った仮面の男を「仮面ライダー」と名付ける、というシーンがあるかと思いきや、そもそもヒロインの「雑誌記者」という設定すら劇中一切活用されないし、絶対にあると思っていた名乗りシーンも一切無し。本郷はなんとな〜く「美しいもの、それは命」とか言うし、一文字に至ってはなんとなく現れてなんとなく味方になる。少しぐらい見得を切れ、見得を。申し訳程度の変身ポーズじゃ物足りんよ。まぁ、テレビシリーズでは最初から「仮面ライダー」で、誰が名付けたのかはよく分かんないんだけどさ。

 他にも何の前触れもなく現れるおやっさん死神博士とかあまりにもご都合主義的な正気の戻り方、ひたすら女を追うばかりの構成、正体知らせたくない癖に後ろに女を乗せて自宅まで送り届けちゃう仮面ライダーなどなど、もうホントに「なんで? ねぇ、なんで?」とひとつひとつ意図を問うていきたいような演出が死ぬほどあるわけですが、その中でも一番「何で?」と思うのが主題歌の使い方

 これがもう、ホントーーーーーーーーーに中途半端で、「使っときゃいいんでしょ?」的な意図が見え隠れして怒りさえ感じる使い方。オープニングでチラッと流すだけ、しかもそのオープニング映像は本編関係なし。で、エンディングでは何を流すかと思えば DA PUMP の甘ったるいバラード。いや、DA PUMP に罪は無いけど、そのセレクトは絶対間違いだろ。

 一連の内容が終わった後、それでもまだ人知れず人を拉致しようとするショッカー怪人。そこに現れる仮面の男。戦闘員を蹴散らし、拉致されそうになった人を助け、逃がす。ショッカー怪人は言う。「お前は裏切り者、ホッパー!!」と。しかし、ホッパーと呼ばれた男は怪人を見据え、戦闘態勢に入りながら叫ぶ! 「俺はもうホッパーじゃない! 俺は……仮面ライダーだ!!」

 ♪ちゃーん・じゃん……パラパパパーパラパパパーパラパパパーパパパパーせまる〜ショッカー……でスタッフロール。

 まぁ、これはベタ過ぎるとは思いますけど、せめてそういう印象に残る使い方は出来なかったものかなぁ。っていうか、主題歌に限らずテレビシリーズから引っ張ってネタ全てが中途半端。本郷が「改造人間」になってしまった苦悩は最初申し訳程度に描かれただけで後半触れられないし、先述のようにおやっさん死神博士完全にオマケ。これで「ファンサービス」のつもりかね。ハッ(←笑い)。

 主演の人の原作本郷とのそっくりっぷりや、アクションシーンや、一文字と本郷の「俺って良い奴だったんだな」「そうだよ」という友情シーンや、ウエンツ関連の話(本編に対する壮絶な無意味さは別として)など、良かった点は勿論あったし、そういうところが「思ったより酷くなかった」と思える所以なんですけど、全体的にはやはり原作を「いいダシ」にしか使っておらず、「ヒーロー映画」としても画的な部分以外では落第点。ストーリーも穴いっぱい。

 結局、まとめてしまえば「何でこんなもん作ったんだろね……」となってしまうのでありました。普通でごめんなさいね。でも、これで今後二度と「ちゃんとした」リメイク作品の可能性が消えたかと思うと、それは非常に悲しいことです。